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東京都台東区にある

浄土宗の寺院です。

浄土宗 真行院
〒111-0051 東京都台東区蔵前4-12-5
 03-3863-2525

 真行院は、1617年(元和2年)に真行上人によって創建された寺院です。もとは、真行院の斜め向かいにある松平西福寺の塔頭のひとつで、17世紀初めまでに江戸駿河台にありましたが、1638年(寛永15年)に松平西福寺と共に現在の台東区蔵前に移ってきました。

    松平西福寺は、正式名称を東光山良雲院西福寺といいます。江戸幕府初代将軍・徳川家康公が開基である名刹で、開山は家康公が自害を思いとどまった場所である三河大樹寺の了伝上人です。当時今川氏のもとにいた家康公は、桶狭間の戦いで敗走し、菩提寺である大樹寺の先祖の墓の前で自害しようとしたところを、戒めて思いとどまらせた僧侶のひとりである了伝上人を恩人として信頼し、現在の静岡市に了伝上人を招き入れ、西福寺を建立しました。二代将軍秀忠公によって、1608年(慶長13年)現在の千代田区に当たる江戸駿河台に松平西福寺が建てられ、1638年(寛永15年)に現在の台東区蔵前に移ってきました。当時の西福寺は300石の石高をうけており、住職は大名待遇を成せられていました。また、当時の西福寺は約7千坪の敷地があり、7ヶ寺の別院別寺があったと記録されており、真行院もそのひとつです。

    浄土宗は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した僧侶、法然上人を宗祖と仰ぐ宗派です。総本山は知恩院(京都)で、大本山は増上寺(東京)、光明寺(鎌倉)、金戒光明寺(京都)、百万遍知恩寺(京都)、清浄華院(京都)、善光寺(長野)、善導寺(福岡)です。

 浄土宗は宗祖法然上人が、阿弥陀如来の「南無阿弥陀仏とお念仏を称えれば、必ず極楽浄土に救いとって見捨てることはない」という教えに注目し、南無阿弥陀仏を称えれば、誰もが平等に救われるという教えを説きました。平安時代末期から鎌倉時代初期の当時にしては珍しく、庶民から武士や公家まで、身分を超えて老若男女問わず信仰を集めました。南無阿弥陀仏と称えるだけで救われるという易しくわかりやすい教えは、当時仕事と言いながらも人を殺さなければならなかった武士たちの罪悪感や、天変地異などもあり苦しい生活を送っていた庶民の救いを求める気持ちに響き、広く受け入れられました。今の時代も、法然上人の時代に比べれば、技術の進化等により、生活そのものがガラリと変わりましたが、楽しいこともあるがつらいこともある。喜びもあれば悲しみもあるという道理がなくなることはありません。今の時代でも、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えいただいて、死後の世界への不安を少しでも除き、一生懸命に生き抜いた先、極楽に行けば先立たれた大切な人たちに会えるという安心をもっていただき、今の時代を命続く限り一生懸命に生きて、現世と来世の現当二世のご利益をうけていただければと思います。

 法然上人(1133年~1212年)は、現在の岡山県(美作の国)の武家の生まれで、幼少の頃、争いの中で父親を亡くしてしまいます。本来ならば武士の子供のため仇討ちをするところでありますが、仇討ちをすればまた仇討ちされるの連鎖になると戒め、出家して僧侶になることを勧める父親の遺言に従い出家し、比叡山で修行を積みます。当時法然上人の知識量や仏教の心理に近づこうとする姿勢から、「智慧第一」と称賛されていました。しかし法然上人自身は、「自分は三学(戒・定・慧)の器ではない。自分に適した教えはないのか」と、自らの心と真摯に向き合って探求し、その中で唐の善導大師が勧める、阿弥陀如来の極楽浄土に向かうお念仏を称える教えに出会い、比叡山を下りて広く民衆に「南無阿弥陀仏とお念仏を称えれば皆平等に阿弥陀如来が救ってくれる」という他力の教えを広められました。

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