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東京都台東区にある

浄土宗の寺院です。

浄土宗 真行院
〒111-0051 東京都台東区蔵前4-12-5
 03-3863-2525

お経をお唱えしよう!第日常勤行式⑤「開経偈」

 

今回日常勤行式⑤で紹介するのは「開経偈」という偈文で、「かいきょうげ」と読みます。この偈文は、お釈迦様の説かれたお経を読む前に唱える偈文で、浄土宗に限らず多くの宗派でお唱えされています。

 

〈開経偈〉

無上甚深微妙法

(むじょうじんじんみみょうほう)

百千万劫難遭遇

(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持

(がこんけんもんとくじゅじ)

願解如来真実義

(がんげにょらいしんじつぎ)

 

〈書き下し〉

無上甚深微妙の法は、

百千万劫にも遭い遇うこと難し。

我れ今、見聞し受持することを得たり。

願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

 

〈意訳〉

この上なく深く素晴らしいお釈迦様の教えは、

百千万劫というものすごく長い時間をかけても出会うことは難しいでしょう。

私は今、それだけの教えに出会う機会を得ることができた。

願わくはお釈迦様の真実の教えを理解し、身に付きますように。

 

微妙…仏教では微妙とかいて「みみょう」と読みます。世間では「微妙」を「微妙なさじ加減」という「わずかな」というような意味で使ったり、「この味ビミョーだなぁ」というようにあまりよくない表現に使われます。しかし仏教でいう「微妙」はものすごく繊細ですばらしいという意味をとります。

百千万劫・・・劫というのは、インドにおける時間的単位の最長単位です。さまざまなたとえがあるが、いづれも考えられないくらい長い時間を指す。

 

「香偈」で身を清め、「三宝礼」で三宝に帰依し、礼拝し、「三奉請」で仏様を道場にお迎えし、「懺悔偈」でもって懺悔し、いよいよ自らが整ったところでお釈迦様の説いたお経を唱えるのです。そのお経の前に文字通りお経を開く偈文として「開経偈」を唱えます。

開経偈に説かれる内容は、奇跡的に仏教の教えに出会う事ができた事と、せっかく出会えた真実の教えを身に着けようという事です。

「ありがとう」という言葉の語源が仏教にあるとする「盲亀浮木の譬え」という話があります。お釈迦さまが弟子の阿難尊者に説いた話で、果てしなく広がる海の底に、盲目の亀がおり、その亀が百年に一度海面に顔を出す。広がる海には真ん中に穴の開いた一本の丸太が漂っている。盲目の亀が百年に一度浮かび上がってきた拍子に、その丸太の穴に頭が入る。自分が一人の人間として生まれることは、この亀が丸太の穴に頭が入ることよりも有難い事なのだよと伝えている。このあることが難しいという意味での有難いから感謝の言葉としてありがとうとなりました。私たちはまず人間に生まれてくること自体が有難く、さらには世界中さまざまな宗教がある中、仏教の教えに出会えたという有難さ。そうして出会えたならばその真実の教えを吸収したいという願いがこの偈文にこめられているのです。

          

法然上人は「一紙小消息」と呼ばれる御法語で「うけがたき人身をうけて、あいがたき本願において、おこしがたき道心を発してはなれがたき輪廻の里を離れて、生まれがたき浄土に往生せん事、よろこびのなかのころこびなり」とおっしゃっています。この一文の趣旨は、先ほど申した通りまず人間に生まれてくることがありがたい事、そして世界には数多くの宗教・思想があるなかで阿弥陀さまの本願の教えに出会う事ができ、その教えを理解し身に着けようと思い実践し、私たちがなかなか逃れることのできない輪廻から解脱し、それらをしてようやくできる極楽往生がかなうことは喜びの中の喜びであるという意味です。開経偈から続く誦経・念仏流れはぜひともそのような心持ちで望んでいただければと思います。

開経偈を唱えるなかに、自らが人間として生まれてきたことへの喜び、そして仏教の教え、阿弥陀さまの教えに出会えた喜びを感じ、感謝し、その教えをいただきた身に着けたいという思いをこめていただければと思います。

合掌 南無阿弥陀仏

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